入学式――「やってみる」という決意
中学時代、不登校だった息子が高校に進学した。
入学式、周りの生徒はみんな大きく見えた。
それでも息子は、その日をやり切った。
夜は家族で焼肉を食べた。
「とりあえず、やれるところまでやってみる」
そんな小さな決意があった。
登校初日――不安を抱えながら
ポケットには精神科でもらった不安を和らげる薬。
自己紹介もなんとか終えた。
帰宅後はぐったり。
「明日行けるかな…」そんな不安を抱えながら早めに布団へ。
親もまた、不安の中にいた。
3日目――小さな成功
先生からの連絡。
「自己紹介もしっかりできていましたよ」
中学の頃はスピーチが苦手だった息子。
それができた。
それだけで、十分だった。
ただ、親は聞けない。
「学校どうだった?」と。
事前に言われていたから。
「学校のことは聞かないで」と。
聞きたい気持ちと、我慢する気持ち。
その葛藤が続く。
4日目――小さな崩れ
お弁当は一人で食べていると知る。
母はその事実に胸を痛める。
送りの途中で息子が言う。
「今日、行きたくない」
無理はさせなかった。
でも父は思う。
「ここで休むと、また行けなくなるかもしれない」
5日目――再びぶつかる
「無理」
その一言から始まった朝。
母との衝突。
怒りと恐怖。
過去と同じ空気。
家族のバランスが崩れる。
6日目――それでも前に進む
2日休んだあと、息子は言った。
「行くよ」
ギリギリの状態で学校へ。
帰宅後、母に「ごめん」と謝る。
小さな和解。
夜はラーメン。
少し元気な姿。
「2日休んでも行けた」
それが自信になった。
次の週――再び止まる
日曜日の夜、不安が押し寄せる。
月曜の朝、「怖い」と言う。
これはもう「サボり」ではない。
「行きたくない」ではなく、「行けない」だった。
限界と選択
出席日数は足りない。
親も限界。
通信制高校という選択肢が出てくる。
「無理して合わせなくていい」
そう思い始める。
決断の日
「人が怖いから、オンラインがいい」
息子は自分で選んだ。
帰り道、アイスを食べながら言った。
「俺って精神病かな」
父は答える。
「時間かかるけど、よくはなると思う」
落ち込みと回復
決断のあと、一度大きく落ちる。
食事も取れず、風呂にも入れない。
でも翌日、少し戻る。
「資料、読んでみるか」
「まあ、自分の学校だし」
完全には折れていなかった。
気づき
「教室の空気がダメだった」
人の視線、空気、関係性。
それを感じすぎてしまう。
でも人混みは平気。
つまり「環境」が合わなかった。
再定義
高校に挑戦したこと。
それは失敗ではない。
「やってみて違うと分かった」
それだけで意味がある。
新しい道
「通信制で、自分のやりたいことを見つけたい」
息子はそう言った。
通学のプレッシャーが消え、
表情が少し明るくなった。
親としての気づき
他の子と比べてしまう。
早く追いついてほしいと思ってしまう。
でも違った。
この子には、この子のペースがある。
海水の中にいる淡水魚のように、
環境が合っていなかっただけかもしれない。
まとめ
・不登校は「逃げ」ではない場合もある
・環境とのミスマッチは確実に存在する
・挑戦したこと自体に価値がある
・回復には時間がかかる
・親の覚悟が必要
最後に
10代、20代は「自分を知る時間」なのかもしれない。
遠回りに見えても、
それは必要な過程。
息子は今、自分の道を選び始めた。
普通じゃなくていい。
少しでも笑っていられる人生を歩んでほしい。
そう思った、2026年4月だった。


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