朝、カーテンの隙間から差し込む光が、今日もまた重い1日の始まりを告げます。 「おはよう。今日はどうする?」 この短い言葉をかけるのに、どれほど勇気を振り絞り、言葉のトーンを選んでいるか、経験したことのない人にはきっと分からないでしょう。
布団から出てこない我が子を見るたび、私の胸の奥はギュッと締め付けられます。 「私の育て方が悪かったのかな……」 何度この言葉を頭の中で反芻し、夜な夜な涙を流したか分かりません。
子育てに正解はないと言われます。頭では分かっています。でも、現実の子育ては、あまりにも難しすぎるのです。
「甘やかしてるからだ」という言葉の刃
不登校になると、親は想像を絶する孤独と周囲からの視線に晒されます。 「少し背中を押してあげれば行けるんじゃない?」 「親が甘やかしているから、子供がワガママになっているのよ」 「最近不登校が増えているのは、親のしつけが甘くなったからだ」
そんな心無い言葉が、親戚やご近所、時には友人からも、アドバイスという名の刃となって突き刺さります。 彼らに悪気はないのかもしれません。しかし、子育てを実際に経験し、しかも「学校に行けない」という我が子のSOSと毎日向き合っている親からすれば、その言葉はただの暴力でしかありません。
甘やかしている?いいえ、違います。 むしろ私たちは、誰よりも悩み、厳しく接した時期もありました。「なんで行けないの!」「みんな行ってるでしょ!」と無理やり手を引いて泣かせたこともあります。その結果、子供の心が完全に壊れてしまいそうになったからこそ、今は「休ませる」という苦渋の決断をしているのです。
「親が甘いから」という安易なレッテル貼りは、必死に命を守ろうとしている親を、さらに暗い底へと突き落とします。
なぜ昔は不登校が少なかったのか?という終わりのない自問
周りから批判されるたび、私は自分自身に問いかけずにはいられません。 「確かに、私が子供の頃は不登校の子なんてクラスに一人いるかいないかだった。なぜ今はこんなに増えているの?」と。
発達障害やHSC(ひといちばい敏感な子)といった概念が広まりましたが、そういった特性を持った子供たちは、昔から一定数いたはずです。それなのになぜ、昔は無理をしてでも学校に行けて、今は行けなくなってしまったのでしょうか。
親の忍耐力が足りなくなったから?いいえ、それだけではないはずです。 例えば、食生活の変化でしょうか。ミネラルやビタミンの不足、添加物の影響が子供の脳や神経に影響を与えているのではないかと、本を読み漁ったこともあります。 あるいは、運動不足や、外遊びの減少によるセロトニンの低下が原因なのでしょうか。 情報過多なSNS社会が、子供たちの心を無意識に疲弊させているのでしょうか。
理由を探せば探すほど、結局は「食事のバランスを崩した私のせい?」「スマホを与えた私のせい?」と、すべての矢印が自分に向かってきてしまいます。
「何が悪かったんだろう」止まらない自責の念
「あの子の、何を理解してあげなきゃいけなかったんだろう」 「どの時点に戻れば、やり直せるんだろう」
子供が部屋で一人ゲームをしている背中を見つめながら、私はずっと自分を責め続けています。 もっと話を聞いてあげればよかったのか。 習い事を無理にさせなければよかったのか。 私の夫婦喧嘩を見せてしまったからか。
親のせいだと言われなくても、親自身が一番、自分のせいだと思っているのです。周りから「お母さんのせいじゃないよ」と言われても、心の底では「でも、私があの時こうしていれば……」というタラレバが消えることはありません。
「親のせい」社会がもたらす未来への危機感
幸いなことに、最近はフリースクールやオンライン学習など、学校以外の居場所も増え、多様な学び方を理解してくれる方も少しずつ増えてきました。学校の先生やスクールカウンセラーの方々のサポートのおかげで、なんとかギリギリのところでやっていけている部分もあります。
それでも、世間一般の風潮として「子供の問題=親の責任」という空気は根強く残っています。
親は、ただでさえ身を削って、自分の人生の時間を子供に捧げて頑張って子育てをしています。それなのに、何か問題が起きればすべて「親のせい」にされる。 こんな社会で、誰が喜んで子供を産みたいと思うでしょうか。
少子化対策で経済的な支援が叫ばれていますが、それ以上に「親を追い詰めない社会」を作らなければ、子供を産みたいと思う人はどんどん少なくなっていく気がしてなりません。「子育ての責任」という重圧が、今の親たちの肩に重くのしかかりすぎているのです。
子育ての「義務教育」が必要なのではないか
「子育てに正解はない」 この言葉は、時には救いになりますが、時には残酷です。正解がないからこそ、私たちは暗闇の中をコンパスなしで歩かされているようなものです。
私は時々、本気でこう思います。 「親になるための、子育ての義務教育が必要なんじゃないか」と。
算数や歴史を学ぶように、子供の心理発達、発達障害の基礎知識、子供がSOSを出した時の具体的な対処法、そして何より「親自身のメンタルケアの方法」を、親になる前に、あるいは親になった初期に、誰もが学ぶ機会があればいいのにと思います。
「学校に行きたくない」と言われた時、どう対応すればいいのか。事前に学んでいれば、あんなに子供を怒鳴りつけて傷つけることはなかったかもしれない。自分自身をこれほどまでに責め壊すことはなかったかもしれない。 手探りだけで命を育てるには、子育てというプロジェクトはあまりにも難易度が高すぎます。
それでも、私はこの子と生きていく
葛藤し、涙を流し、周りの目に傷つきながらも、私は親であることをやめることはできません。 子供の寝顔を見るたび、「この子が笑顔で生きていけるなら、世間の常識なんてどうでもいい」と腹をくくる夜もあります。そして次の朝にはまた、不安に押し潰されそうになる。その繰り返しです。
もし今、私と同じように、不登校のお子さんを抱えて自分を責めている親御さんがこれを読んでくれているなら、伝えたいです。 あなたは悪くない。あなたは、子供を守るために必死に戦っている立派な親です。
甘やかしていると言われてもいい。今は、傷ついた子供の羽を休ませるための大切な時間なんだと、自分に言い聞かせています。 何が悪かったのかを探す過去への旅は一旦お休みにして、今日、この子が少しでも笑ってくれたら、それで100点満点。
正解のない難しすぎる子育てだけど、私は私なりの不器用なやり方で、これからもこの子の絶対的な味方であり続けたいと思います。


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